文人 小野田雪堂

 

 

雪堂先生の座右の銘と言ってもいいくらい大切にされてこられた言葉が〜この今を
ありがとうございます〜でした。 

2005年10月15日という日は僕にとって〜この今をありがとうございます〜という
明日でも明後日でも来年でもない、この今この一瞬こそがかけがえのない奇跡的な
時間であるということを認識させられた忘れられない日となりました。

2005年10月15日、僕の生涯の恩師・小野田雪堂先生は30名近い長年の弟子
たちとの熱海旅行の最中に突然、旅立たれました。お釈迦さまと同じ80歳でした。
MOA美術館でたっぷりと有意義な時間を堪能し、宿へと戻りました。その日の天気
予報は雨でしたが、空にはずっと太陽がありました。ところが雪堂先生が宿に戻るの
を待っていたように雨が降ってきました。雪堂先生と兄弟弟子のみなさんとでゆっくり
温泉に浸かり、先生の背中を洗わせていただいたり笑顔の絶えない時間でした。
この時に夕食の後はカラオケ大会をしましょうとの提案に先生は、
〜僕は伴奏があると歌えないないんだよなぁ。僕は作った歌を歌うよ。いつもは二番
までしか歌わないんだけど、今日は気分がいいから三番まで歌うよ〜
ととびっきりの笑顔で話されていました。そして、宴の席。お酒の飲めない雪堂先生
も泡だけと、嬉しそうに口の周りを泡だらけにしたり、みんなが笑顔で本当に楽しい
時間でした。そして、カラオケ大会も盛り上がってきたところで先生は、まだ誰も聴い
たことのない自作の歌を三番まで歌われました。その三番の言葉はこうでした

〜男なら、この世に生まれて、この世に生まれて悔いはなし、いけいけどんと命がけ、
名はいらぬ〜 

力強く歌いきり、弟子たちの大喝采の拍手と声援の中、先生は静かに倒れられまし
た。そして、そのまま天へと召されたのです、、、
僕はその先生の歌をたまたま携帯電話で録音していました。力強い応援歌の命がけ
の歌声でした。歌う前に先生は僕は80歳になって勉強し、学ぶことが楽しくてなりま
せん。みなさん、共に歩んでいきましょうと話されていました。
先生は今ごろ亡くされた息子さんや戦友のみなさんと天で過ごされているのでしょう
か。亡くなられた日のMOA美術館の能楽堂の前で僕は先生の隣にいました。
〜のぶ、いつかここで君の演奏会をやりたいね〜
そう言ってくださりました。先生は能楽堂に関する資料を持ち帰っておられたことを
後日聞きました。

そして、雪堂先生が大好きで深く交流をされていた木の建築家・太田新之介さんが
企画・演出をされた和の心にて候というコンサートで、僕はあの能楽堂に二度立た
たせていただくことが出来ました。雪堂先生が天から導いてくださったのでしょうか。
先生はその生涯を持って、生き方を通して〜この今をありがとうございます〜という
ことを伝えてくださりました。

雪堂先生、僕も先生が歌われたあの歌のように、歯をぐっと食いしばって書かれた
書のように、この今にすべてを注ぎ込むように命をこめて、生きていき音を紡がせ
ていただきたいと思います。 

雪堂先生。この今をありがとうございます。〜樹心如明鏡〜   合掌。KNOB拝

 

 

師 小野田雪堂

開門式

雪堂美術館訪問記

 


 

TOP  プロフィール  インフォメーション  ライブ情報    フォトグラフ  メール

    ディジュリドゥ・イダキについて    縄文の石笛 天河の五十鈴    無孔笛   

    

                      

             HOKUSAI

                            葛飾北斎の画の世界を音にしたCD「観音」

    雪堂美術館  和の心にて候 茶の湯 みなさまの声   

   携帯サイト    ニュースレター    CD紹介   日々の感動

奉納演奏賛助の会