11月18日はMOAの能楽堂にて、25日のリハーサルだった。
その前日、僕は同じこの場に来ていた、、、
春くらいかな、MOAの定期演能会で羽衣があることを知り、
25日のステージの舞台監督をされる美術館の山下さんにチケットを
お願いしていたんだ。
僕は羽衣を、昨年のステージのために約一年半くらいをかけて太田先生に
教えていただいていた。
太田先生は観世で能を勉強され舞台にも立っておられる。
実は羽衣は昨年も一度、東京のある場所で観たことがあるんだけれど、
それが僕には満足できない舞台だった。
僕の中でイメージしていた世界とはまったく違ったものだったのです。
だからどうしても、羽衣をもう一度観たかった。
それが、今回はリハーサルの前日、僕たちが立つ舞台で行われる。
何かご縁を感じて心の底からワクワクしていた、、、
そして、目の前で繰り広げられた羽衣は、、、
本当に本当に凄かった。
今まで観た能が比べ物にならないくらい感動した。
特にシテ(天人)が漁師の白龍から衣を返してもらい、衣を着け「駿河舞」として
伝えられる舞を舞いながら、月世界の宮殿の様子を語り、
春の三保の浦の景色を讃える場面、、、
舞台には、羽衣を着けた天人が動かず止まっている。
それが、僕には、いやきっとみなさんそう感じたことだろう、天人が、音もなく空へと
浮かんでいった情景が見えた。
まるで、真っ青な空に、鳶や鷹がその大きな羽を広げ上昇気流に乗り天空をゆったりと
静かに飛ぶような、、、
天人は天空を自在に翔んでいた、そして宇宙にまで翔んでいった、、、
天空で天人が舞うから、あの動きなんだと思うような、いやそんな冷静さを失う、
本当に空で舞う天人を観てしまったという畏れを感じるような時間だった、、、
そして仕舞も舞われた関根祥六さんの人生、心、魂すべてが凝縮されたような舞いに
心を打たれた。
じつは僕はあまり、芸という言葉が好きではないんです。
芸を技を研くというのはあたりまえのことで、技やテクニックを学び、型などを身に付け、
その過程で型を越えた自分という人間に気付き心を魂を研く。
だから技や型を感じさせない、人間そのものが現れる、そんな領域に
たまらなく惹かれるのです。
芸人でもなんでもない肩書きではなくただ人間、、、
それを関根祥六という方から感じた。
そして、天人をされたのは、そんな人間祥六を伝えられたであろう祥人さん。
本当に感動の舞台だった。
あまりに凄くて、もう二度と羽衣は観たくない、そんなふうに思える一生、僕の心に
残る魂の舞いだった、、、
18日のリハーサル前。
僕は伊豆山神社に詣でて、この山で吹かせていただくことの感謝をお伝えした。
そして、前日、関根祥六さん、祥人さんが舞われ、その気配がまだ残る舞台に祈った、、、
同じ舞台で音を紡ぎだせることが嬉しく、それと同時にその重さを深く実感した、、、
ただのイベントや興業ではなく、太田新之介という人間の魂のメッセージが
こめられた‐和の心にて候‐である。
出演者はもちろん、実行委員や関係者、ひとりひとりが互いをおもんぱかり、
その瞬間瞬間に命がけで魂を燃やした時にそれが来てくださるひとりひとりに
伝わるんだと思う。
自分がやってるんじゃない、おおいなる何かにやらされ、動かされているだと思う。
それが宗教を越えた日本人の自然観であると僕は思います。
熱海での三日間が成功なんてものを越えて‐意味のある‐ことにするには、
関係しているひとりひとりに、今、己の中に本当に‐和‐はあるのか!
太田新之介という人間の想いをわかっているのか!
ひとりひとりに突きつけられている気がしてなりません、、、
合掌。KNOB拝。11月19日。