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天然空洞木
僕は この自然が造り出した 聖なる神秘の木に出逢い 息を吹き込むようになり 人生観が変わりました 一本 一本 音色も形も違う 宇宙にたったひとつだけの木と 音楽というものを通して コミュニケーションをとるうちに 自愛の心 そして 自分とは 違う 人を 認め 尊敬する心が 生まれてきました これは ディジュリドゥの世界でも 書の世界でも、、、なんでも そうだと思いますが 例えば ディジュリドゥでも 現地に何年住んで 伝統的な奏法を習い、、、 そういうことだけを ありがたがる人がいます もちろん 好きで現地に行き 自分のスタイルで生きている人は 素晴らしいと思います 僕も 一時は アボリジニの人々の 考え方 宗教観、、、何もかも知りたくて 移住を考えたことがありました そんなとき これは書をやっていた時のことなのですが ふと 自分の生まれた意味を考えました 地球の日本というところに 生まれて 大都会に育ち 芸能界という世界を体験し そして 運命としか思えないタイミングで ディジュリドゥに出逢った もし オーストラリアでディジュリドゥを吹く運命なら 最初から アボリジニに生まれていてもよかった でも そうではない 今の僕には きっと 誰にもまねの出来ない 自分しかできない表現方法があるはず、、、 意味が必ず ある そう確信しました そして 僕達と同じ人間である アボリジニの人たちと 分かち合わなきゃいけないのは 形ではなく 心なんだと あらためて 気づきました そして アボリジニの人たちに共通する 素晴らしいものが 日本にもあることを思い出しました 同じ ディジュリドゥをやっている 同士でも あいつのは ディジュじゃないとか これはイダキ[伝統的なもの]なんだとか 形だけを 気にして争いあう せっかく ディジュリドゥの素晴らしさに気づき アボリジニの人たちの 人間的な素晴らしさに 気づいた同じ心を持つ人なんだから 仲良くやればいい アボリジニの人たちは 人を評論家のように 否定したり それと比べて 自分の価値を表現する そんなことを 望んでいるとは 思えない 部族の中で 様々な その人 その人が得意なことを 認め 尊敬し 仲良く 心を分かち合い 暮らしていくことこそ 望んでいたことなんじゃないのかな 書道会でも 自分の会 以外の会の人の 作品を 見ようともせず 批判する そんな人が たまにいるけど 会なんて 団体なんて 国 人種なんて 関係ない その人 個人を見ればいい 心を覗いてみればいい みんな せいいっぱい生きているんだ みんな それぞれ オリジナル 誰にもまね出来ない人生を 生きている もっともっと 心を見よう 形じゃなく 肩書きじゃなく 年齢じゃなく 性別じゃなく ジャンルじゃなく、、、、、、、、、 あえて 僕は ディジュリドゥのことを 天然空洞木と呼んでいます 地球の中の日本という国の 文化 言葉も好きだから 自分自身を思いっきり 表現していきたいと思います 自由でありたい 自由でありたい 自由であれ
平成15年 文月 自宅アトリエにて
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